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マーク エバスコマーク エバスコ

マーク エバスコ

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登録日: 2025年10月17日

記事 (7)

2025年11月16日2
「神様は備えてくださる」
2週間にわたって「マケドニアの教会」について学んできましたが、今週がこのシリーズの最後のメッセージです。今日は、彼らがどのように「自分たちにある以上に」与えることを学んだのかを見ていきます。 旧約聖書のアブラハムとイサクの物語を思い出します。神様にささげ物をするために山へ登る時、イサクは不思議に思い、父に聞きました。「火も薪もありますが、いけにえの羊はどこにありますか」。アブラハムは自分の息子をささげる覚悟をしていました。しかし、創世記22章8節でこう答えました。「神ご自身が、いけにえを備えてくださいます」。なんという力強い信仰でしょう。アブラハムは「備えてくださる神」、すなわちエホバ・イルエであることを知っていました。 私は、マケドニアの教会にも同じ心があったと信じています。とても貧しかったのに、彼らは与えました。なぜでしょうか?——神様が備えてくださるからです。自分たちのほうが必要があったのに、彼らは与えました。なぜでしょうか?——神様が備えてくださるからです。何も残っていなくても、彼らは力以上に与えました。なぜでしょうか?——神様が備えてくださるからです。...

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2025年11月10日2
「与えることは受けることよりも幸いです」
今日は「マケドニアの教会」についての3回シリーズの2回目です。マケドニアの教会はとても貧しい教会でした。実は、エルサレムの教会よりももっと貧しかったのです。では、なぜパウロは、そのような貧しい教会を、裕福なコリントの教会に対して励ましの模範として示したのでしょうか?それは、彼らが「受ける」のではなく「与える」教会だったからです。 もちろん、受けること自体が悪いわけではありません。ときどきプレゼントをもらうのは嬉しいことです。しかし、イエス様も「受けるよりも与えるほうが幸いです」と教えられました。実際に、イエス様ご自身がその模範を示されました。天から下って人間となられ、十字架でいのちを捧げ、私たちの救いのために死なれたのです。 今朝は、この「与える心」について、そしてそれが「自己中心」ではなく「無私」の心にどのようにつながっているのかを学びましょう。無私であるというのは、自分のことをまったく考えないという意味ではありません。むしろ、「自分より他人を先に考える」ということです。イエス様は聖書の中で、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と教えられました。...

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2025年11月4日2
「見ならうべきお手本」
先週、私たちは「イエスさまが私たちのために祈っておられる」ことを学びました。王の王であるイエスさまが、私たちのために天の父にとりなしてくださる―これは本当に大きな喜びです。 私たちは祈るべきときに忘れてしまうことがあります。そして問題に出会うことがありますが、それでも乗り越えることができます。なぜなら、キリストご自身が私たちのために祈っておられるからです。イエスさまは私たちを深く愛しておられます。そのことをいつも覚えましょう。 これから3回、聖書に出てくるとても貧しい教会について学びます。 その教会は貧しかったのに、パウロは彼らをクリスチャンのお手本として紹介しました。神さまの恵みをどのように用いるかということで、すばらしい姿を示したからです。 この世では、「まず自分が大切」と考えるのが普通です。人間は自分中心になりやすいからです。しかし、クリスチャンはキリストに倣う者です。 罪が入ったとき、キリストはご自分をささげてくださいました。それは自己中心とは反対の生き方です。イエスさまは、私たちのためにいのちを与えてくださいました。...

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